京都人は嘘つきだ
「京都の人と付き合うのは難しい」と言われることがあります。確かに、本音と建て前の使い分けがあることは多くの人がご存じでしょう。しかしながら決定的に間違えていると思うのは、皆さんが思っている以上に京都の人はウラとオモテの使い分けが本当に強烈であることです。それから、「本音と建て前」というのはむしろ京都人にとっての言い訳で、つまりは「平気で嘘をつく文化」を正当化しているのだと思っております。ハイはハイ、イイエはイイエ、これが人間にとっての正直さというものではないでしょうか。とくにビジネス上での付き合いにもこの建前という名のウソを平気でつくのでわたしも本当にに苦しみました。しかも、付き合う相手の大半は「こんな大の大人がこんなに見え透いた嘘をつくはずがない」という性善説で生きていますから、京都人のウソを真に受けたまま死ぬまで気づかないということも多いのだと思います。建前=嘘が多すぎてどこからどこまでが本当かわからないんですよ。それに、平気で偽るのがうまいので、陰口や悪口が非常に多いのも京都人の特長だと思います。←断言してしまう
こういうことを書いてしまうと自分でも恐くなりますが、たとえば、
その1どす:
東京人「それでは、ぜひ一緒にお仕事しましょう」
京都人「えぇ、こちらこそぉ、よろしくお願いしますぅ」
東京人「それではまた、よろしくお願いします」
京都人「ほんなら失礼しますぅ」
京都人「ほんまあんなことゆぅてたけど、誰があんなやつと一緒にやるかいな」
その2どす:
客「女将さん、ありがとうございました」
女将「おおきに、いつもすんまへんなぁ」
客「ほんならまたね」
女将「きぃつけて帰っとくれやす」
女将「あ~ぁ、あんな客もう来てもらわんでよろしわ」
とまぁ、こういう話を様々なところで何度聞いたことか・・・
京都商法は確かに全国で認められているかもしれない。けど「京都では300年商売続けてナンボや」だとぉ?オマエが300年生きて商売をやってきたのか!「京都」は素晴らしいところだとしてもてめぇみたいな「京都人」はただの嘘つきの引きこもり野郎だ!
いえ、もちろんわたしは京都人が嫌いなのではありませんよ。京都人がみんな嘘つきではありませんからね。わたしはただ、京都人の建前=嘘が心底だいっきらいなだけなのです。
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